 昭和の時代に「怪獣ブーム」という言葉がありました。TVや映画が特撮作品であふれた 夢のような時期のことで、一応の区切りは第1次怪獣ブームが1966年から1968年まで、 第2次怪獣ブ-ムが1971年から1975年まで、第3次ブームが1978年から1981年までですが、 そのブームとブームの間に公開された作品もあったし、第3次は終わりがはっきりとせずに くすぶり続け、1984年の東宝映画『ゴジラ』の封切り後は何かしらTVや映画で 特撮作品が見られるようになり、今日に至っています。
このうち第1次は、自然発生的に起こった本当の意味のブームでしたが、 第2次は1次のブームを盛り上げたものの、他の部門の不振が災いして倒産したマルサンから 怪獣部門を引き継いだブルマァクが、雑誌やテレビに働きかけ意図的に起こしたブームだったことが、 今日では知られています。そういう視点で見ると、第1次ブームはマルサンの倒産と共に終わり、 第2次ブームはブルマァクの倒産で終了、そして第3次ブームがはっきりとは終わらなかったのは、 それをオモチャで支えたバンダイが倒産せずに、今日も日本一の規模のオモチャ会社として 君臨し続けているため、とも言えるでしょう…。
 今日の御題の『ガメラ対大魔獣ジャイガー』が大映系で公開されたのは1970年3月21日。 第1次ブームは終わっていた頃ですが、東宝系では前年末に 『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 』が、そして春の同じ時期には『キングコング対ゴジラ』が リバイバルで公開されていたこともあり、当時はそういう認識は全くありませんでした。 確かに今日調べてみると、この1970年に放送開始された特撮TV作品は 『チビラくん』『ジャングルプリンス』『ウルトラファイト』『俺は透明人間』位しか無く、 このウチ見た記憶があるのは『ウルトラファイト』だけなんですが、あまり怪獣に飢えていたという 感じではなかったのは、映画があったのと、何か再放送でも見ていたからでしょうか? もともと第1次ブーム時は特撮TVも少なかったので、あまり飢餓感を感じなかったんでしょう…。
 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』は大阪万博タイアップ作品で、会場でのロケはもちろん、 ガメラとジャイガーの最終決戦は万博会場付近で行われます。 付近というのは、さすがに開場前のパビリオンを壊すわけにいかなかったのか 建物のあるエリアに入ってこないからで、たまに勢い余ってソ連館にぶつかったりしてるので(笑)、 写真では左手に黒っぽく写ってる会場裏手の山やせいぜい会場の北部に広がる日本庭園あたり まで踏み込んできての激突だったと思われます…。
写真左のソ連館の上の方に見えている池が、たぶん、ガメラが透明になって頭を突っ込んだ あの水辺でしょうね。ソ連館横あたりで肩を刺されて、ヨロヨロと千鳥足で歩いてブッ倒れるんだから このくらいの位置関係でしょう。ここでTOPにお見せしている潜水艦の大活躍になるわけですが、
 ここは松沢池といって、地元の人々にはお馴染みの公園のようです。
 今回メインでお見せしているのはイワクラの「ガメラ大魔神特撮大百科EX」の一つ。 レジンキャスト製の約6.5cmで、前回ブーたれていた 「食玩と同等品をバカ高い値段で売りつけるボッタ商品」で、 3500円と食玩の約10倍で300個の限定生産と唱ってあります。 まぁもっともこれを食玩と考えるからハラも立つんで、 着色済みガレージキットと考えると安い方でしょうかねぇ…。 普段ならこんなコストパフォーマンスの低い商品は完全スルーですが、 大阪万博に関係あるミニカーを何か1台欲しかったので買ってしまいました(苦笑)。
 大阪万博とクルマと言えば、当時実際にイタリア館に展示されたフェラーリのモデューロとか、
 日本館に展示されたリニアモーターカーの模型を真っ先に思い出すんですが、 それらのミニカーやオモチャは高価なだけでなく、なかなか見つからないんですよね……_| ̄|○
その点この小型潜水艇はマイナーすぎるのか、人気的に引く手あまたと、 いうところまではいってないようです…。それでも当時子供だった私にしてみれば、 これはガメラと触れ合えただけでなく、危機を救うのに大いに役立った素晴らしい「主役」メカなので、 模型化してくれたイワクラにはやはり感謝しないとバチが当たるでしょう(笑)。
 お値段が張るだけあって、潜水艦の他にジャイガー2世のフィギュアが、 受話器が頭に貼り付いたのとそうでないのの2種類と、それから展示ベースが付いてます。
今日は実はブログ開始丸2年の記念日なので、特別にあといくつかお見せしましょう…。
 イワクラが最初に発表したオリオンブランドの食玩「ガメラ ガッパ ギララ 特撮大百科」から、 透明ガメラを立たせて着色したガメラとジャイガーの対決シーンです。 ガメラは顔自体はいじってないのですが、ジャイガメというよりバルガメの顔になってますね。 ジャイガーは上の2世と比べたら、やはり2世は子供なんで幼い顔つきです。 本当の撮影用スーツは角だけ変えた親と共用の気もするんだけど、まぁそこは愛嬌かな?(笑)
ちなみに昭和ガメラの撮影用スーツは、最初の『大怪獣ガメラ』時の荒々しい「初ガメ」、

『ガメラ対バルゴン』で登場し『ガメラ対大悪獣ギロン』まで使われたハンサムな「バルガメ」、

『ガメラ対大魔獣ジャイガー』『ガメラ対深海怪獣ジグラ』使用の顔が間延びした「ジャイガメ」、

それから『宇宙怪獣ガメラ』で使われた飛行形態だけの「宇宙ガメ」の4種があります。

このうちバルガメは使われた期間が長く、顔の破損と補修も何度か行われているので 作品事に微妙な違いがありますが、関係者の話では同じスーツだとのことでした…。
 背景の万国博会場はタイムスリップグリコ大阪万博編に合わせて、 出てない分をフルスクラッチしたものです。元が食玩なんで、正確なスケールモデルというより イメージモデル的に大まかに作りましたが、それでも1月かけて50個以上のパビリオンを作った 苦心作です。それぞれの大きさは最大でベースが6×7cmくらいでしょうか? 大きめの画像にしましたのでクリックしてどうぞ!
ちなみにその中の一つのタイ館の大きさはこんな感じになります。

 大阪万博は今日まで語り継がれるビッグイベントで、当時を知る者にとってはまさに夢の空間でした。 私は当時7才。博多在住でしたが大阪に親戚がいたんで訪れることができ、2回足を運んでいます。 全体としては未来と過去が混在した超異世界という感じで、太陽の塔を始め、ガスパビリオン、 東芝IHI館、三井館等々、怪獣を思わせるパビリオンもたくさんあり、 建物を怪獣化した「万博怪獣」もいくつか生まれています。
 これはその一つの、たぶん円谷プロによるバンゴンで、太陽の塔をストレートに でもなぜか、凶悪怪獣化してます(笑)。右に小さく載せられている子供の絵を元にしたのかな?
 こちらは手塚プロが作ったらしいエキスポラで、太陽の塔だけでなく主要なパビリオンが合体して 怪獣になってます。各パーツがどのパビリオンか全部解った方は立派な万博博士です。 ちょうど怪獣が少なかった1970年だったからこういう遊びも流行ったんでしょうね。 第1次怪獣ブーム時は各怪獣は引っ張りだこで、版権上、東宝や円谷怪獣が使えない媒体は 世界の伝説上の怪物や恐竜、さらには勝手にでっち上げた怪獣までも使って ブームに乗り遅れまいとしていました。
 これは『少年キング』に載ったグラビアですが、スフィンクスは解るとしても、 コウモリだの、ヘラクレスカブトムシだの、ファラオや仁王様まで巨大化させて 怪獣と言い張らざるを得なかった編集者の焦りが伝わってくるようですね~。 だからこそ、当時は「新怪獣」ということばに重みというか有り難みがあったんでした(笑)。
実は「大阪で開かれる万国博覧会」というものが、一番最初に子供の心に焼き付いたのは、 1967年のお正月の出来事で、『ウルトラマン』の「怪獣殿下」の前後編によるものでした。 そうです、ゴモラが展示されるはずだったのはEXPO70だったんですよ。
 劇中、怪獣殿下の空想として使用のこのイラストは、当然会場が完成する前に描かれたものですが、 ソ連館や電力館っぽい建物もあってどこか実際の会場のイメージに近いのが興味深いですねぇ…。 肝心の怪獣がなぜかアボラスなのは謎ですが(笑)。
 ゴモラは逃げ出さなければ日本館に展示される予定だったはずなので、 その前あたりに立たせてました(笑)。これはバンダイの食玩のウルトラ怪獣名鑑を使ってます。
来年は2010年で、大阪万博40周年の記念の年なので、万博会場跡では太陽の塔内部の 常時開放と、今はほとんどただの倉庫と化している鉄鋼館の整備と内部の公開を目指して 準備中だとか…。それから、残念ながら、先日事故により閉園になったエキスポランドですが、 解体によりいろいろ出てきたモノもあるでしょうから、 そういうモノも集めて、大規模な回顧展を開いてほしいものです。 実現したら、私も40年ぶりに万博会場に足を運ぼうと思います! ヽ(´ー`)ノ
この2年間、「キャラクターミニカー秘密基地」に足を運んで下さった、 延べ118664人もの方々に心から感謝いたします…。 まだまだ至らぬ部分も多いかと思いますが、今後も頑張って更新していきますので、 どうかまた足をお運び下さい。m(_ _)m
なお、ゴールデンウィーク中はお休みさせていただいて、 次回更新はたぶん5月11日になると思いますので、そのとき、またお会いしましょう!
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