みなさま、おひさしぶりです。2007年の4月末に、本当は5月1日から始めるつもりが 手違いでスタートしたので公式には5月1日を開始日とする当ブログなんですが(笑)、 昨日でめでたく丸4年を迎えました。 本来ならその前後を盛り上げようと、プラニングまでしてあったんですが、 東日本大震災でミニカーコレクションが大被害を受け、それどころではなくなったのは 更新停止日に報告させていただいたとおりですが、更新停止のお知らせに コメントをお寄せ下さった方には心から感謝いたします。
記念日なので久しぶりに更新する気になったんですが、 幸か不幸か、震災以降、物欲がスッカリ無くなりました。 壊滅した室内の片づけができてないせいもあるんですが、実は4月に入った時、 やっと気を取り直して片づけ始め、4月4日にはほとんど棚の再整理も終わったんですよ。 ところが4月7日の大余震でまた盛大に落ちまして、もう完全に心が折れたつうか、 このような状態で整理しても無駄だとしか思えなくなって今日まで来ています。 思った通り、4月11日午後は当地で感じただけでも20回以上も大きな余震が起こったし、 このところはやっと震度3程度のが1日に2~3回に落ち着いたと思ったら、 また震度4のが起こるようにもなってきたし……_| ̄|○
こう余震が続き、原発問題も解決しないようではとてもその気にならないので、 当分の間は月二回目標の不定期更新ということにさせていただきます。m(_ _)m
我が部屋の被災はミニカーだけに止まらず、必死に自作した万博会場も吹っ飛び、 チキチキバンバンワールドも崩壊し、限定品のガラスのクレアフィギュアも砕け散り、 最近集め始めた陶器製駅弁容器も一番貴重なもう手に入らないブツが割れてしまう等、 コレクター&モデラーの自分にとってはかなり辛い状態です。
でも、趣味に興味を示せなくなるとボケが進むので、なんとか気を奮い立たせるべく、 TV見て感動したニュースの、忠実ではない心象風景アレンジのジオラマを作ろうと、 廃墟同然の室内から関連のミニカーを掘り出したり、自作したり、近くのお店を探したり、 それでもみつからない分はヤフオクで取り寄せたりして、あれこれやってました。 作ったのは原発の冷却のために全国いや全世界から結集した放水隊のジオラマで、 以降はこれを聴きながらお読み下さい。
まずは最初に上空から放水作業をした自衛隊ヘリのチヌーク、

それが有効だったので最初に地上から放水した機動隊特殊放水車と

自衛隊化学消防車

そして本格的な放水作業をするために消防の精鋭が集まったハイパーレスキュー隊の

屈折放水車

民間提供されたプッツマイスター社製コンプリートポンプ車、通称「キリン」

自衛隊74式戦車ドーザーと

時代や国境を越えたスター級のメカがキラ星のように登場し、非常時ではあることは承知の上で、 メカフェチの心をつかんで離しません。ヽ(´ー`)ノ
掘り出したミニカーに加え、ダイソーの100円welly(ダイソーミニカーにはシリーズが 何種類かあり、その中でwellyは一般販売もされる香港のメーカーでデキも悪くない)の 屈折放水車風消防車や、それをベースにスクラッチビルドした機動隊特殊放水車。 そして買い占めされなかなか手に入らなかったけど、 ショーケース内の見本を頼み込んで売ってもらったトミカ13番の モリタ空港消防車(自衛隊化学消防車と同型)。 機動隊放水車を作る際取り外した折畳ハシゴを土台に備え付けたなんちゃってキリン。 そして、最後の御奉公をするために出撃した姿に感動し、これだけはヤフオクで入手した ドーザー付き74式戦車(コナミ陸上自衛隊装備大全第参段)が勢揃いしました。 実は74式戦車落札時にはまだ震災から日が浅かったせいもあり、 「茨城には荷物は送れない」と言われプチ風評被害を味わったんですが、 茨城南部では郵便は不通ではないと説明し、やっと送ってもらうことができました。
こうしてようやく原発放水隊が勢揃いした訳で、 まずは74式ドーザーによるガレキ撤去作業を再現してみました。
 ガレキは地震でへし折れて足下に転がってたなんだかよく解らないパーツと、 砕け散った姫路城型駅弁容器の破片です… (つД`)
それからフルフォースならぬフルホースによる注水作業開始です。
 これも震災に耐え倒れることすらなかった「ゴジラヒストリー」のバーニングゴジラを 暴走原子炉に見立て、それに放水しているというコンセプトです。 指揮は上空のチヌークが執り、74式は何かがあった時のために待機中ですが。 ドサクサに紛れて主砲をぶっ放す気かもしれません(爆)。
74式がやや小さい感じもしますが、スケールは1/150前後でだいたい合ってるんです。
 それだけ74式が小さく、各種消防車が大きいということなんでしょうが、 これは自分でも意外な発見でした!
この状態で注水作業の有効なことが実証されましたが、いつまでも消防の ハイパーレスキュー隊の被曝覚悟の捨て身の作業に頼る訳にもいかず、 やがてキリンと同等の性能を持つコンプリートポンプ車が世界中から日本に集められ、 今は遠隔操作で3~4台を使い注水作業に当たっているようです。
すると今度はその水が溜まり、漏れだした原子炉の中身と混じって 高濃度放射能汚染水となって、それが海へと流れ出す事態を生じましたが、 とは言え、注水を続けないとまた熱で爆発する可能性が大いにあります…。 敷地内の放射線値も明らかにされ、とても長時間作業できる状態でないこともはっきりし、 袋小路に陥った感もある原発事故の現場ですが、それでも続けるしかありません。 東電による作業工程表も発表され「半年から9ヶ月で一応の収束」ということに なりましたが、絵に描いたモチもいいところで、もはや政府や東電の発表を信じる人は よほどおめでたい人と言わざるを得ないでしょう。現に海外のプレス向けに行っている 記者会見は取材する人が皆無の状態で、その無人の空椅子に向かって発表を続けている 様子は、滑稽を通り越して恐怖を覚えます……。
私の住んでいる場所は避難が必要とされる至近距離ではありませんが、150km圏内で、 3月15日には近接した東海村辺りでは平常時の50~100倍の放射線値が観測されてました。 それなのに政府は「爆発的事象が起こったが原子炉は健全な状態にある」と大ウソを吐き、 枝野官房長官は「直ちに健康に影響を生じる値ではない」と力説してましたね…。 私はこの時点でミンス政府の発表は全く信じられないと確信し、「死」を覚悟しました。 直ちに影響無くても100倍もの放射能を浴び続けたらどうなるか、答えは明かだからです。 幸い、数日でこの異常な値は下がり、現在では平常時の10倍程度で落ち着きましたが、 直ちに健康に影響は無くても被曝したのは確かで、あの数日間に心に感じた ザラリとした感覚はたぶん一生忘れることは無いでしょう…。
 枝野は後に「私は安全だとは言っていない」と述べ、直ちに避難の必要は無いと 自分で発表した被災地視察に、厳重な防護服に身を包んだフルアーマー状態で臨む等、 そのヘタレぶりが明らかになってますが、 そんな状態でああいう大ウソを吐き続けていたんだから呆れ返ります…。
空間の放射能だけではなく雨が降ると放射線値が上がり、水道水から制限値を越えた 放射性ヨウ素が発見された時すらあり、近くの母乳サンプルからも発見されました。
朝起きたら、放射線値をチェックしないといけない毎日。 この『宇宙戦艦ヤマト』の世界みたいな事態を招いたバカン率いる無能ミンスや 東電の幹部どもや 原子力保安院への怒りが収まることはありませんが、 現場で命がけで事態収拾に向けて働いておられる方々への感謝はしてもしきれません。 まだまだ終わりが見えぬこの作業ですが、朝な夕なにこのミニレスキュー隊を見るたびに、 彼等への応援を心の中でしようと思います。
そんな中でも桜は咲きましたが、いつもより1週間遅れ、例年なら10日~2週間は保つのに きっかり7日間で散っていきました。これが今年だけのことなのか、それとも今後も続くのか、 答えが出るには長い年月がかかりそうです…。
それでは最後に3月15日あたりによく聴いていたこの歌を聴いてもらって 本日は終わりたいと思います。
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